きっと、「良い」ドキドキ

雑記

仕事の山場を一つ、超えた。

多分はじめの一つ。


去年の6月。
三鷹市に引っ越してきて、新しい土地に慣れるための時間。
他になにしてたかはあまり思い出せない。
先住の知り合いに教えてもらったカフェで、時間を過ごすだけのオンラインのアルバイトや受注デザインの仕事をしてたっけ。

で、確か6月の下旬。
例のカフェで、例の先住の知り合いと話をしていると、いつもは離れ離れになってサボっているシナプス達が働き始めた。
そうだ。人といるときの僕はポテンシャルが高いのだ。
逆説で、コロナ禍の僕はポテンシャルが地に落ちていた。

でも久しぶりの会話で目が覚めたシナプスは、カフェの帰りまで覚めていて、僕にヒラメキを与えてくれた。

大小いろんなことを思いつき、携帯のメモ帳に貯めた玉石混交のアイデアは約450ある。
でも、この世に形をなしているのは一つもない。
じゃあ。このヒラメキをその一つ目にしよう。頑張って。
と、その時なんとなく思った。

「なんとなく」

これって実はとても大事なことなのかも、と思う。
「なんとなく好きかも」と思った瞬間は恋に落ちた瞬間だし、
「なんとなく続けていること」はその人の掛け替えのない財産である。

一見、なにを考えているわけでもないときも、実は脳みそは動いている。
車でいうとアイドリング状態のようなかんじだ。
そのような状態を、デフォルトモードネットワーク(DMN)という。
大学ぶりにこの言葉を使った。思い出せなかったからGoogleで調べてしまった。

とにかく、無意識って大事で、偉大だ。

僕はその「無意識」の意識で、約9ヶ月、このときのヒラメキのために走り続けることができた。

僕の中にある数多のアイデアを一つでもいいから実現したら、
具現化する工程は既知の、既存の道のりになる。
すると数多のアイデアは数多の具現になる。
そう「なんとなく」思ったのを今も覚えている。

今日、一旦サービスが完成したねの打ち合わせが終わった後、何故か無性にドキドキして、ソワソワした。
ソワソワしすぎて、後輩に意味もなく電話もかけてみた。

「ドキドキ」

僕はお芝居の本番前はいつもドキドキする。
多分これは「良い」ドキドキだ。と自分に言い聞かせ、ドキドキに寄り添っている。

そして今日のドキドキも、きっと、「良い」ドキドキだ。

生きているドキドキだ。

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